家政婦の私が、奥様の遺言を読みます 【第29話】 透はようやく兄から離れた

昔のタカは、その言葉をこう解釈していた。

昔の何かを飲み込むようにうつむくタカの表情(回想的)のシーンの漫画 タカの胸に響く奥様の声のシーンの漫画 壁に当てる金属の銘板のシーンの漫画
壁に板を当て位置を合わせ少し体を引いて傾きを確かめるタカのシーンの漫画 ネジに金槌を当てるタカの手元のシーンの漫画 三打目のシーンの漫画
静かに金槌を振るうタカの落ち着いた表情のシーンの漫画 打ち終えて彫られた文字を布でひと拭きするタカの手元のシーンの漫画 タカが空を見上げるのシーンの漫画
次の話へ 【第30話】 もう一本のネジに金槌を当てる わたしは、奥様の物を一つだって盗んでいませんよ。

家政婦の私が、奥様の遺言を読みます 【第29話】 透はようやく兄から離れた のあらすじ

昔のタカは、その言葉をこう解釈していた。済んだことはもう仕方がない。そして、ネジに金槌をそっと当てた。タカは、空を見上げた。雲ひとつ、なかった。

ここまでのあらすじ(第1話〜29話)

【第1話】 ここからお一人ずつお返しいたします 九十九家の座敷。財産を奪い合った一族が、顔を真っ青にして座っていた。タカさん、おはよう。今日もいい朝ね。紅茶をいれてくれる。ねえ、だからいくらなのよ。さっきから、それを聞いてるの。

【第2話】 悠介の声がまた聞こえる タカは目を閉じ、また手を動かした。聞こえないふりをするのも、家政婦の仕事だ。なぜ『ぼけていた』ことにしたいのか。タカには、まだ分からない。刻一刻と時間が過ぎ、夜になった。葬式の一日が、ゆっくり過ぎていく。

【第3話】 家族の席に座らせるわけにはいかないわ 夕方、葬式の列のそばに立っていると、里子さんが、タカをちらりとも見ずに言った。三十五年もいる。母さんのことを、いちばん知っている。翌朝。タカは、奥様の茶碗をていねいに洗っていた。

【第4話】 欠けててもこれがいいの 茶碗を洗っていた手を止めると、水がぽたりと落ちた。玄関に四人が、ずらりと一列に並んで待っていた。タカはまばたきもせず里子を見た。背すじはのびたまま。

【第5話】 この人も煙にまく気だ 玄関が、しんと静まりかえった。亡くなる三日前。奥様は、タカの名前を呼んだ。お、おれは、何も知らないから。本当に、何も知らないんだ。

【第6話】 本当によく笑う子だった 透がまた下を向いた。玄関の空気が、ふっと止まる。奥の物置。三十五年いて、残されたのはそこだった。はじめてこの家に来た日。タカは、まだ十七歳だった。

【第7話】 でも今その言葉が腑に落ちた 三十五年。長かった。でも、あっという間でもあった。タカさん。少しの間だけ、席を外していてくれるかしらね。すぐ済むから。布施タカ。五十二歳。わたしは、ただの家政婦だ。

【第8話】 歳は四十くらいだろうか その手は、一枚の紙を固くにぎっていた。失礼します。これを置かせてください。でも、本当に大事なことは、ぜんぶ、この声と、このノートに。

【第9話】 つめがてのひらに食いこむ 足が悪いのに、この階段をのぼっていたのだ。『もうろくして、正気ではなかった』と、そう言って。ずっと、ちゃんと息をしていなかった。そのことにやっと気づいた。

【第10話】 ここから先が奥様の本心だ では、読みますね。よろしいでしょうか。それと、もう一つ。奥様の言葉は、次のページに続いています。奥様の言葉を、ひとりずつ、本人の前に、返してまわります。

【第11話】 奥様からの条件ですか タカは立ち上がり、帰ろうとした。その時だった。正月に、奥様の財布から、お金を抜いた子の顔。一人目は、誰にしようか。順番を、決めなければならない。

【第12話】 やっぱりにげようとする 夕方、広い屋敷の中で台所だけあかりがついていた。最初に呼んだのは、透さんだった。いや、おれは、もう、すぐ帰るからさ。な、いいだろ。奥様が、亡くなる、ほんの少し前の、ことでした。

【第13話】 三月の十一日木曜でした そんな。母さんが、そんなことを、ぼけてたんじゃ、なかったのか。あの日、透さんはお茶を自分で運ぼうとしましたね。……なあ、タカさん。ひとつだけ、どうしても聞きたいことがある。

【第14話】 タカさんおれやっと決めたよ なんでだよ。おれは酷い人間なんだから、ののしられたほうが楽なのに。そのうち、鼻をすすって立ち上がった。透は戸口で足を止め、ふり返らずに言った。

【第15話】 これでひとつ終わった 兄さんは、あんたが思うより、もっとひどいことをしている。朝の光が畳にまっすぐ落ちていた。だれもいない、奥様の部屋だ。奥様の声をひとつだけ、聞いてほしいんです。

【第16話】 その人は静かに言った 机の上には、小さな黒い機械が置いてあり、部屋のすみにもう一人いた。わたしね、ぜんぶ聞いていたわ。あの日の言葉も。タカは机の上に湯のみを三つならべた。

【第17話】 それぞれはっきりさした 亡くなる三日前。奥様が、この部屋で、最後にお茶を飲んだ日です。わたしはその横でお茶を出していたんです。聞いていないとお思いですか。お金がなくなるのが、あなたはずっとこわかったんでしょう。

【第18話】 里子は首を横にふり続けた ちがう。ちがうわよ。そんなの、ぜんぶ、ちがうから。終わったこと。奥様がいつも言っていた言葉です。三十五年。この家でエプロンをつけてきた。だけど、作業着のほうが似合うらしい。

【第19話】 この手でにぎらせたんだ あの、ここ……座っても、いいかな、みたいな。美羽さんは、答えなかった。ひざを、ぎゅっと抱えた。つめが白くなるくらい、強く。これ……私が、さわってもいいの……?なんだか、こわくて。

【第20話】 一字一句忘れちゃいない もう終わったこと。あなたがそう気に病むことはないですよ。だって、私……私ね、本当はね……ずっと黙ってたことが。死んだおばあちゃんに、うそをつくところだったの。

【第21話】 はいゆっくり聞きますよ ですから、美羽さんのために言葉を残したんです。美羽さんの体が、びくっと、ふるえた。うなずいた。胸の奥が、ほどけていく。

【第22話】 この子もわかっているんだ ねえ、この箱の話。困った子を助ける、あの貯金箱の話なの。ろうそくの火が、一つだけ、ゆれている。タカさん。社長の私を、こんな夜中に呼びつけて何の用だ。

【第23話】 タカは一枚の紙を出した ふん、線香くさいな。社長の時間は高くつくぞ。早く言いなさい。始まった。この人の、いつもの口ぐせだ。『悠介は、会社のお金に困っている』、『私の財産を、だまって使っている』。

【第24話】 タカは悠介をまっすぐ見た ちがう、ちがうんだ。きっと弁護士が母をそそのかしたんだ。悠介さんの手がふるえ始めた。母さんは…本当に、私のしたことを、全部、知っていたのか。

【第25話】 ふり返ったまま動かない 何もかも、奥様はご存じでした。奥様がよく言ってました。『終わったことは、終わったこと』。奥様、残るはあと一人です。ちゃんと、最後まで終わらせます。

【第26話】 静かで頭のいい人だった タカは台所へ歩いた。明日の、最後の支度をするために。そのタカが、今日は何もしていなかった、手が、止まっていた。そのとき、玄関で物音がした、タカが、ふと顔を上げる。

【第27話】 美羽は深く頭を下げた タカは布巾を置いて、玄関へ向かった、美羽は、目を伏せて待っていた。私、何も知らないまま、ひどいことをした側に、いたんだね。奥様は、困っている人を放っておけない、そういう人でした。

【第28話】 タカはそっと目をふせた やっぱり、あなたなら、そうおっしゃると思っていました。タカちゃん、来たよ。楢崎のトヨだ。ずっと見てきたんだ。タカはふと手を止めた。奥様の口ぐせを思い出していた。

【第29話】 透はようやく兄から離れた 昔のタカは、その言葉をこう解釈していた。済んだことはもう仕方がない。そして、ネジに金槌をそっと当てた。タカは、空を見上げた。雲ひとつ、なかった。

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